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Video: Naoya Inoue Training Highlights HD
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来歴[編集]
アマチュアキャリア[編集]
座間市立栗原小学校[16]1年で父の下でボクシングを始める[17]。初の試合出場は6年生の時で、全国大会で座間市立栗原中学校[16]2年生の相手にRSC勝ちを収めた[18]。中学校3年のときに行われた第1回全国U-15大会で優秀選手賞を受賞。
新磯高校(現・相模原弥栄高校)1年でインターハイ・国体・選抜の三冠を達成し、アジアユース選手権で銅メダルを獲得[19]。
2年時には世界ユース選手権でベスト16入りし[20]、インターハイはベスト8に終わるものの、国体を連覇。また、初出場の全日本アマチュア選手権では決勝で林田太郎に敗れ準優勝。同階級の田中亮明(当時中京高、後の2020年東京五輪フライ級銅メダリスト)との対戦成績は4戦全勝。
3年時にはインドネシア大統領杯で初の国際大会金メダルを獲得。さらに世界選手権出場を果たし、フライ級で3回戦まで進むが、キューバの選手に12-15の判定負けを喫しベスト16。国内ではインターハイに加え、全日本選手権で初優勝するとともに技能賞を獲得[21]。高校生初のアマチュア7冠を達成した[17][22]。
2009年のトキめき新潟国体ではライトフライ級に出場し、準決勝で寺地拳四朗(後のWBC世界ライトフライ級王者)を破っている。
2012年4月5日より、同年に開催されるロンドンオリンピックの予選会を兼ねたアジア選手権に出場し、ライトフライ級で決勝まで進むが、同月12日、2005年の世界選手権で銅メダリストになっている地元カザフスタンのビルジャン・ジャキポフ(英語版)に11-16の判定負けを喫して銀メダルにとどまり、目標としていたロンドンオリンピック出場を逸した[23][24](※試合内容の動画あり)。当時、19歳であった。
プロキャリア[編集]
2012年、大橋ボクシングジムに入門[22]。ジムとの契約書には井上自身の希望で「強い選手と戦う。弱い選手とは戦わない」との条件が付帯された[26]。7月2日に開かれたプロ転向・大橋ジム入りの発表会見では井岡一翔(井岡)が持つ世界王座最短奪取記録の更新を宣言した[27]。プロテストはスーパーバンタム級でB級ライセンスを受験[28]。実技試験は後楽園ホールの興行内で公開され、日本ライトフライ級王者・黒田雅之(川崎新田)を相手に左右の連打でコーナーに追い詰めるなど、実力を示して合格を果たした[30]。
プロデビュー戦は、10月2日に後楽園ホールにてOPBF東洋太平洋ミニマム級7位にランクされているクリソン・オマヤオ(フィリピン)と49キロ契約8回戦で対戦[17][31]。プロ受験時のライセンスはB級だが特例によりA級(8回戦以上)ライセンスが認められてのデビュー戦となり、A級デビューは1987年の赤城武幸以来25年ぶり7人目で10代は初[32][33]。次の8回戦デビューは2022年の但馬ミツロまで待つことになったため[34]、結果的に平成唯一の8回戦デビューとなった。また、この試合は深夜録画ながらTBSの地上波「ガッツファイティング」で中継された[33][35]。試合は1回に右ボディーブローでダウンを奪い、4回に左ボディーブローを打ち込んでマットに沈め4回2分4秒KOで勝利[36]。プロ転向からわずか3か月でOPBF東洋太平洋ライトフライ級10位にランクインし[37]、日本ライトフライ級6位にもランクされた[38]。
2013年1月5日、後楽園ホールにて前WBA世界ミニマム級王者八重樫東(大橋)の再起戦を前座に差し置き、メインイベントでタイライトフライ級王者ガオプラチャン・チュワタナ(タイ)と50キロ契約8回戦で対戦。当初陣営は、世界ランカーとの対戦を計画し3選手と交渉し1選手とは契約寸前までいったが、相手側の交渉人が井上のデビュー戦の動画を見てキャンセルしてきたという。また、この試合はTBSによってデビュー2戦目としては異例の夕方に地上波生中継された[39]。試合はガオプラチャンの右の打ち終わりに合わせたシャープな左フックで相手をキャンバスに沈め、1回1分50秒KOで下した[40]。この試合で、デビュー戦以来2試合連続となる月間最優秀選手賞を東日本ボクシング協会から受けた[41]。
2013年4月16日、後楽園ホールにて日本ライトフライ級1位の佐野友樹(松田)とノンタイトル10回戦で対戦。この試合はフジテレビ(カスペ!・ EXCITING TIME)で生中継され、同局では21年ぶりのゴールデンタイムでのボクシング中継となった[42]。試合は1回に左フックで相手の右目尻をカットさせると、2回に左ボディブローのフェイントから左フックでダウンを奪うが、3回に打った右ストレートが佐野の頭部に当たった際に右拳を負傷。以降は右のパンチを打てず、左手一本での戦いを余儀なくされたが、それでも4回に左フックからの連打でダウンを奪い、10回1分9秒TKO勝ちで下した[43]。この勝利で日本ライトフライ級1位にランクされた[44]。
5月19日の「ボクシングの日」イベントのトークショーに高野人母美(山上)らとともに参加[45]。
日本王座獲得[編集]
2013年8月25日、スカイアリーナ座間にて日本ライトフライ級王者の田口良一(ワタナベ)と対戦。試合は3-0(97-94、98-93、98-92)の判定勝ちで、辰吉丈一郎以来23年ぶりに当時国内最短タイ記録となる4戦目での日本王座を獲得した[46](2019年に女子の千本瑞規、2022年に男子の記録としても但馬ミツロによりともに2戦に更新される)。この勝利でOPBF東洋太平洋ライトフライ級1位にランクインし[47]、WBA世界ライトフライ級5位[48]、WBC世界ライトフライ級10位[49]、WBO世界ライトフライ級15位[50]にもランクされた。また、田口からは『リング』誌のランクも奪い、この試合後には同誌の定めるライトフライ級ランキングにも初登場した[51]。
2013年10月18日付で日本ライトフライ級王座を返上。3日後の10月21日、八重樫東と3分2回のエキシビションマッチを披露した[52]。
東洋太平洋王座獲得[編集]
2013年12月6日、両国国技館にて小野心(ワタナベ)の王座返上に伴い行われたOPBF東洋太平洋ライトフライ級王座決定戦で、OPBF東洋太平洋ライトフライ級2位のヘルソン・マンシオ(フィリピン)と対戦。試合は2回に連打でダウンを奪うなど有利に進め、5回2分51秒TKO勝ちで八重樫東らと並ぶ当時の国内男子最短タイ記録となるデビュー5戦目でOPBF王座を獲得した[53]。
2014年2月28日、世界タイトル挑戦のためOPBF王座を返上[54]。
6戦目での世界王座獲得[編集]
2014年4月6日、大田区総合体育館にてWBC世界ライトフライ級王者アドリアン・エルナンデス(メキシコ)に挑戦。井上の大橋ジムの先輩である八重樫東、大橋ジム会長の大橋秀行、そして大橋が現役時代に所属していたヨネクラボクシングジム会長の米倉健司と大橋ジム系3世代に亘って日本人男子世界王座獲得最短記録更新に失敗しており、4世代目となる井上による悲願達成が期待されての挑戦となった。試合の3週間前にインフルエンザにかかるなど、体調は万全に程遠かったが、試合開始早々からスピードと手数で一方的に圧倒し、4回終了時の公開採点でもジャッジ3者とも40-36のフルマークでリードしていたが、減量苦の影響で3回終了時から左足の太ももの裏がつってしまい、まともに足が動かない状態となった。最終ラウンドまで左足がもたないと判断し、覚悟を決めて打ち合いを挑んだ6回に接近戦で右フックでダウンを奪うとレフェリーがストップし6回2分54秒TKO勝ちを収め[55]、プロテスト実技試験終了後に宣言したとおり、当時日本人男子最速となるプロ入り6戦目での世界王座獲得に成功した[56](後に田中恒成がデビュー5戦目で王座獲得し記録更新)。この勝利はWBCから評価され、2014年4月度の月間MVPに選出された[57]。試合を中継したフジテレビは5月18日深夜に、この世界王座獲得試合の完全保存版を放送した[58]。
試合の一夜明け会見では、左足がつった事をはじめとして減量苦の影響が顕著である事を考慮して、防衛戦をしないまま王座を返上して階級を上げる事も検討する意向を示したが、その後「防衛戦を行う事は王者としての責任」と語り、階級を上げるのは初防衛に成功してからにする事を決めた。
2014年9月5日、国立代々木第二体育館にて元PABAミニマム級王者でWBC世界ライトフライ級13位のサマートレック・ゴーキャットジム(タイ)と対戦。試合は4回と6回にダウンを奪い、11回1分8秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。試合後には改めて王座を返上し、階級を上げることを表明した[59]。
8戦目での2階級制覇達成・世界ボクシング界の年間MVP獲得[編集]
1階級上のフライ級でも減量が厳しいため、一気に2階級上のスーパーフライ級への転向を視野に入れつつ、12月30日に予定している大橋ジムとフジテレビの主催興行での世界王座挑戦を目指して陣営の交渉が行われた。まず、WBA世界スーパーフライ級王者河野公平への挑戦を正式に申し入れしたが、河野の試合が指名試合になる可能性がある事に加え、河野が所属するワタナベボクシングジムは2011年以来、毎年12月31日にテレビ東京放送の元で大晦日興行を開催しており、河野も既に大晦日に防衛戦を行う事が内定していたため、断られた[60]。
その後、大橋ジムからマッチメイクを依頼されたジョー小泉が、WBA世界フライ級王者ファン・カルロス・レベコ(アルゼンチン)との対戦を交渉したが、レベコは10月31日に暫定王者のヨーッモンコン・ウォー・センテープとの統一戦が決まっており、年末に向けての本格的な交渉を始めるにはこの試合で怪我を負うことなく防衛することが条件であり、年末まで残された時間も短い状況だった。その際、レベコのマネージャーが同じアルゼンチン人(オズワルト・リベロOR・プロモーションズCEO)であるWBO世界スーパーフライ級王者オマール・ナルバエスのマネージャーも兼任していたため、両者のどちらかへの挑戦を見据えて交渉を行い、レベコが左腕上腕の筋肉を裂傷してヨーッモンコンとの統一戦が延期された事が決定打となり、ナルバエスへの挑戦が決定した[61]。
2014年11月6日、スーパーフライ級へ転向するためにWBC世界ライトフライ級王座の返上を発表した[62][63]。
2014年11月24日、元世界5階級制覇王者ノニト・ドネア(フィリピン)からナルバエス対策のアドバイスを受けた[64]。
2014年12月21日、トレーナーである父・真吾が2014年のエディ・タウンゼント賞を受賞した[65]。
2014年12月30日、東京体育館でWBO世界スーパーフライ級王者オマール・ナルバエス(アルゼンチン)に挑戦。ナルバエスはフライ級世界王座を16連続防衛、WBO世界スーパーフライ級王座を11連続防衛中でプロ・アマ通じて20年以上150戦超のキャリアで一度もダウンを喫した事はなく、唯一のプロでの敗戦は1階級上のバンタム級でノニト・ドネアに判定負けしたのみでスーパーフライ級以下では14年間無敗の王者であり、井上自身も試合前には「観客からのブーイング覚悟でKOは捨てて判定でもいいから勝ちにいかないと勝負にならない相手」とコメントしていた。しかし、試合は序盤から井上が攻勢に出て初回から2度のダウンを奪う一方的な展開となり、2回も井上の攻勢は続き、この試合4度目のダウンでナルバエスが立ち上がることが出来ず、2回3分1秒KO勝ちを収め当時世界最速となる8戦目での飛び級での2階級制覇(現在はワシル・ロマチェンコの7戦目)を達成し、それまで世界最速だったポール・ウェアーの9戦目での2階級制覇を20年ぶりに塗り替えた[66][67]。試合直後のリング上ではナルバエス陣営がグローブに鉛を仕込んでいるのではないか?とクレームをつけた。大橋秀行会長が井上尚弥のグローブをその場で外して相手に確認させるとナルバエスのトレーナーは、苦笑いを浮かべて「グレートなニューチャンプだ!」と一言返したとのこと[68]。試合を放送したアルゼンチンのテレビも「ナルバエスはこれまでの全キャリアで食らったパンチよりも深いダメージを井上との2ラウンドで被ってしまった」と解説し、試合終了の瞬間、進行役が「イノイエ!」と絶叫したほどだった[69]。試合後、ナルバエスは「私のコンディションは良かったし、調整もきちんとしていたが、1ラウンドの一発目から効いてしまい、パンチ力に驚いた。本当に超ストロングなパンチだった。もっと上の階級のパンチ力だったし、パンチが速過ぎて見えなかった。気力ではなく体が限界だった。井上はノニト・ドネアよりも強かった。私を負かし、驚かせた。彼はまだ21歳。大きな未来が待っている。歴史的なチャンピオンになれると思う」とコメントした[70][71]。
この試合で井上は右拳を痛めてしまい、4月に予定されていた初防衛戦ではオプションによって再戦権を持つナルバエスとの再戦が内定していたが、治療に専念するために延期した[72]。
2014年12月31日、井上は、ボクシング・シーン・ドットコムとコンド・アウト・ドットコムに2014年の年間MVPに選出され[73]、2015年1月1日にファイトニュース・ドットコムの2014年の年間MVPに選出された[74]。
2015年1月6日、後楽園飯店で行われた2014年の年間表彰選手選考会に於いて、井上は2014年最優秀選手賞とKO賞に選出され、上述のナルバエス戦が年間最高試合に選出されるなど3冠を達成した[75]。1月10日、WBOの2015年1月度月間MVPに選出された[76][77]。
2015年3月、前年12月のナルバエス戦で痛めた右拳が脱臼していたことが判明した為、手術を行った[78]。
2015年12月1日、弟・拓真とともに大手芸能プロダクションのホリプロと専属マネジメント契約を締結した[79]。
2015年12月29日、有明コロシアムでWBO世界スーパーフライ級1位のワーリト・パレナス(フィリピン)と対戦。パレナスはかつて日本の勝又ボクシングジムに所属しウォーズ・カツマタのリングネームで活動していた。試合は2回にパレナスのガードの上から右フックを叩き込んでダウンを奪う衝撃的な破壊力を発揮するなど、2度のダウンを奪って1分20秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した[80]。この一戦を評した元世界スーパーフライ級チャンピオンの佐藤洋太は、パレナスとのスパーリング中に自分がダウンを喫した逸話を紹介してパレナスの強さを称えつつ、そのパレナスを圧倒した井上を高く評価している[81]。
2016年5月8日、有明コロシアムでWBO世界スーパーフライ級1位の指名挑戦者デビッド・カルモナ(メキシコ)と対戦。初回から圧倒していたが、2回に右ストレートをカルモナのこめかみにヒットさせた際に古傷である右拳を負傷。それでも井上は怪我をセコンドに伝えずに左手一本で戦い続け、5回開始前になってセコンドに怪我のことを伝えて指示を受けながら戦うが、8回頃に今度は左拳までも負傷してしまった。しかし、それでも巧みな試合運びで主導権を握り続け、最終12回にはKOを狙って痛みに耐えながら猛攻を仕掛けてダウンを奪うなどKO寸前まで追い込み、12回3-0(2者が118-109、116-111)の判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した[82][83]。
2016年9月4日、スカイアリーナ座間でWBO世界スーパーフライ級1位でABCOコンチネンタル王者のペッバーンボーン・ゴーキャットジム(タイ)と対戦。
当初はオプションによる再戦権を持つWBO世界スーパーフライ級1位の前王者オマール・ナルバエスとの再戦が予定されていたがナルバエスがバンタム級転向を理由に対戦を辞退。続いて英国のメディアに対して井上との対戦を希望する発言を繰り返していた元IBF世界スーパーフライ級王者でWBO世界スーパーフライ級2位のゾラニ・テテにオファーをしたものの、テテもバンタム級転向を理由に対戦を拒否したため、WBO世界スーパーフライ級3位のペッバーンボーンとの対戦となり、試合時にはペッバーンボーンはWBO世界スーパーフライ級1位となっていた[84]。序盤はジャブを丁寧に突きながら試合を組み立てるが、後半になると試合2、3週間前に患ったという腰痛、さらには右拳を痛めた影響が出て不用意なパンチをもらうようになる。それでも相手にポイントは与えず、打ち合いの中で10回にダウンを奪い、10回3分3秒KO勝ちを収め3度目の防衛に成功した。試合後のリング上で大橋ジムの大橋秀行会長は6日後に井上との対戦が期待されるローマン・ゴンサレスがWBC世界スーパーフライ級王者カルロス・クアドラスに挑戦する試合を井上と共にアメリカで現地観戦し、来年にゴンサレス戦を実現させるべく交渉することを宣言した[85]。一夜明け会見で大橋会長は井上の次期防衛戦について、4日前に河野公平に勝利し、WBA世界スーパーフライ級王者になったルイス・コンセプシオン(パナマ)に統一戦のオファーを出したことを明らかにした[86]。10月10日、WBOは、井上をWBOの2016年10月度の月間MVPに選出した[87][88]。
2016年12月30日、有明コロシアムで元WBA世界スーパーフライ級王者でWBO世界スーパーフライ級10位の河野公平(ワタナベ)と対戦し、6回1分1秒TKO勝ちを収め、4度目の防衛に成功した[89]。
2017年5月21日、有明コロシアムでWBO世界スーパーフライ級2位でWBOラテンアメリカ王者のリカルド・ロドリゲス(アメリカ)と対戦し、3回1分08秒でTKO勝ちを収め、5度目の防衛に成功した[90]。
2017年9月9日、カリフォルニア州カーソンのスタブハブ・センター・テニスコートで行われた「SUPER FLY」にてローマン・ゴンザレスvsシーサケット・ソー・ルンヴィサイ第二戦の前座でWBO世界スーパーフライ級7位で元NABO北米バンタム級王者のアントニオ・ニエベス(アメリカ)と対戦し、ニエベスが6回終了時に棄権した為、6度目の防衛に成功しアメリカデビュー戦を飾った[91][92]。この試合で井上は182,500ドル(約2000万円)、ニエベスは35,000ドル(約400万円)のファイトマネーを稼いだ[93]。またこの試合は米国ではHBOのボクシング中継番組『ボクシングアフターダーク』で中継された。
2017年12月30日、横浜文化体育館でWBO世界スーパーフライ級6位で元フランスバンタム級王者のヨアン・ボワイヨ(フランス)と対戦し、3回1分40秒TKO勝ちを収め、7度目の防衛に成功した[94][95]。
16戦目での3階級制覇達成[編集]
2018年3月6日、同年5月25日に大田区総合体育館でWBA世界バンタム級正規王者のジェイミー・マクドネル(イギリス)と対戦し3階級制覇を目指すと発表した。井上が保持していたWBO世界スーパーフライ級王座は同日付で返上した[96][97]。World Boxing Super Seriesのプロモーターのカッレ・ザウアラントが、井上が今回3階級制覇を達成した場合、World Boxing Super Seriesのバンタム級に出場することで井上側と条件面で合意している事を明らかにした[98]。
2018年5月25日、WBA世界バンタム級王者ジェイミー・マクドネルと対戦、身長差で10cm、リーチ差で12cm上回っているマクドネルに対し、開始直後に左ボディが当たるとすぐさま攻勢を仕掛け、左ボディでダウンを奪う。その後もラッシュを仕掛け、初回1分52秒TKO勝ちを収め日本最速となる3階級制覇を達成した[99][100]。この試合はアメリカではESPNのストリーミングサービス「ESPN+」で生配信された[101][102]。マクドネルは前日計量を1時間10分ほど遅刻してまでギリギリの減量を行った後に脱水症状を起こし、試合当日には1日で12kgも体重を回復させるなど、厳しい減量に苦しんでいた[103][104]。
World Boxing Super Series 参戦[編集]
2018年7月11日、WBSSが正式に井上の出場を発表した[105][106]。7月20日にはロシア・モスクワで組み合わせ発表会が開催され、主催者により第2シードに選ばれた井上は一回戦の相手に元WBA世界バンタム級スーパー王者ファン・カルロス・パヤノ(ドミニカ共和国)を指名した[107][108][109]。
2018年10月7日、横浜アリーナでWBA世界バンタム級4位で元WBA世界バンタム級スーパー王者ファン・カルロス・パヤノとWBSS一回戦を行い、1回1分10秒KO勝ちを収め初防衛に成功しWBSSの準決勝に進出した[110]。1分10秒の間に井上は合計3発しかパンチを放っておらず[111][112]、井上の高速のワンツーがクリーンヒットしパヤノは後頭部から倒れ、パヤノの8年のプロ・キャリアで初めてのKO負けとなった。
この試合で井上は2018年度リングマガジン ノックアウト・オブ・ザ・イヤーを受賞[113]。
2018年10月20日、フロリダ州オーランドのCFE・アリーナで行われたWBSS一回戦の一つであるIBF世界バンタム級タイトルマッチを観戦。勝者となったIBF世界バンタム級王者エマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)とリング上で対面し、次戦となるWBSS準決勝での対戦を煽った[114]。
2019年5月18日、イギリス・グラスゴーのThe SSE HydroでWBSS準決勝としてIBF世界バンタム級王者エマヌエル・ロドリゲスと対戦。無敗の王者同士の対決で、この試合は事実上の決勝戦とされていたが、井上が2Rに3回ダウンを奪い、2R1分19秒でTKO勝ちを収め、WBSS決勝戦への進出を決めると共に、WBA王座の2度目の防衛、並びにIBF王座及びリングマガジン王座獲得に成功した[115]。なおこの試合は王座統一戦を行う場合にIBFはWBAの世界王座として最上位のスーパー王座しか認めていないため、王座統一戦として認められず、IBF世界バンタム級タイトルマッチとして、ロドリゲスのIBF王座のみが懸けられて行われた[116]。
2019年5月31日、WBAはIBF王座を獲得した井上をWBA世界王者からWBA世界ユニファイド王者に認定した[117]。
2019年11月7日、さいたまスーパーアリーナでWBA世界バンタム級スーパー王者ノニト・ドネアと対戦し、試合は2回にドネアの左フックをもらってプロになって初めて右目上部をカット。この後から最後まで、井上はドネアが二重に見えていたという[118]。8回にはドネアが攻勢を仕掛け、井上は鼻から出血した。しかし11回に左ボディをヒットさせ、ドネアは下がるように歩いてから膝をついてダウン。そのまま判定にもつれ込み、12回3-0(116-111、117-109、114-113)の判定勝ちを収め、WBA王座の王座統一による3度目の防衛、IBF王座の初防衛に成功し、WBSSバンタム級初代王者に輝いた[119]。この試合は、2019年度のリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーを受賞した[120]。試合後の会見で、米プロモート大手のトップランク社と複数年契約を結んだことを発表した[121]。
一夜明け横浜市内の所属ジムで会見を行い、今後について「まだ具体的な話はしていない」とした上で、「ここまで来たら最強を証明していくだけ。バンタムで敵がいないくらいにしたい。ウバーリ、テテ。残っているのはそれくらい」とバンタム級に残留しWBC王者ノルディーヌ・ウバーリ、WBO王者ゾラニ・テテの2人の名前を出し、四団体統一を視野に入れていることを明かした[122]。
この試合の後、井上は自身のTwitterで右目眼窩底と鼻を骨折したこと、手術はせずに保存治療をすることを発表した[123]。
2019年12月2日、浩樹のWBOアジア太平洋スーパーライト級王座決定戦を観戦しに後楽園ホールへ行った際に取材に応じ、11月30日に行われたWBO世界バンタム級王座統一戦でテテを下してWBO王者となったジョンリル・カシメロとの対戦を希望した[124]。一方、ウバーリについては「また拓真がいけばいい」と発言した[125]。
2020年1月31日、井上は都内で会見し、4月25日にラスベガスのマンダレイ・ベイ・イベント・センターでWBO王者かつ3階級制覇王者のジョンリル・カシメロと日本人初の三団体統一戦をメインイベントにて行うことを正式発表した。この会見で井上は「この三団体統一という試合に凄く意味があると思っていて、バンタム級での四団体統一を目指す上で欠かせない試合。まずはラスベガスでの試合を危なげなくクリアして次に進めたい」と語り、世界ボクシング史上4人しかいない四団体統一王者を目指していく方針を明らかにした[126]。
しかし、カシメロとの三団体統一戦は新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け中止となり、10月31日(日本時間で11月1日)、アメリカ・ラスベガスにおいてWBO世界バンタム級1位、WBA同級3位のジェイソン・モロニーとの対戦がトップランクより発表された[127]。
ボクシングの聖地、ラスベガスデビュー[編集]
2020年10月31日(日本時間11月1日)、ネバダ州ラスベガスのMGMグランド内ザ・バブルにてWBO世界バンタム級1位、WBA同級3位のジェイソン・モロニーと対戦。この試合はメインに抜擢され、さらに新型コロナウイルスの影響で無観客試合という状況にも関わらず、ファイトマネーは破格の1億円[128]。
試合は終始井上がペースを握り、6回にはカウンターの左フックでダウンを奪い、さらにカウンターの右ストレートで7回2分59秒KO勝利を収め、見事聖地ラスベガスでの白星デビューを果たした。この試合でWBA王座4度目、IBF王座2度目の防衛に成功した[129]。試合後のインタビューでは今後について「計画としてはWBCのウバーリ、WBOのカシメロ。両選手をターゲットとして考えているので、タイミングの合う方とやりたい」と統一戦を熱望した[130]。一方のカシメロも1日夜、自身のSNSで、フィリピンと日本の旗の絵文字とともに「さあ、続こう!」とツイートし、対戦に応じる姿勢を示した[131]。
2021年2月11日、国立代々木競技場で開催のチャリティーボクシングイベント『LEGEND』で元WBC世界フライ級王者・比嘉大吾と対戦した[132]。
2021年5月5日、ラスベガスのヴァージン・シアターでIBF世界バンタム級1位の指名挑戦者であり元IBO世界バンタム級王者のマイケル・ダスマリナスと対戦する事がトップランクより発表された[133]。
2021年6月19日、ダスマリナスと対戦。試合は2回にダウンを奪うと、3回には左ボディで再びダウン。再開後も三度左ボディを食らわせるとダスマリナスはキャンバスに崩れ落ち、レフェリーがノーカウントで試合を止め、3回2分45秒TKO勝ちを収め、WBA王座は5度目、IBF王座の3度目の防衛に成功した[134]。この試合をリングサイドで観戦し、8月14日に王座統一戦を行うことが発表されたWBC同級王者のノニト・ドネアとWBO王者のジョンリル・カシメロがともに試合後のWOWOW中継にゲスト出演し、井上との対戦を熱望、井上もその後自身のSNSに「次が本当の勝負。ドネアVSカシメロの勝者と4団体統一戦を希望希望希望!!!」と投稿した[135]。
しかし同年9月に、ドネアはWBC暫定王者レイマート・ガバリョ、カシメロはWBO同級1位ポール・バトラーとの統一戦を各団体から指示されたことにより、年内の統一戦実現は難しくなった。井上はこれに対して「まぁあくまで今は俺の適性階級はこのバンタム級だから時期が来るまで気長にね、、皆さんも気長にね、、いずれスーパーバンタム級にあげる予定だからその準備もしながらね、、バンタム級で4本のベルトは必ず巻く」と投稿した[136]。
2021年11月29日、井上はオンラインで記者会見を開き、12月14日にIBF5位、WBA8位のケンナコーン・ルアンカイモック (アラン・ディパエン)と約2年1カ月ぶりに国内防衛戦を行うことを発表した[137]。
2021年12月14日、両国国技館でケンナコーンと対戦。相手のタフネスぶりに手を焼くも、8回に左フックでダウンを奪うと、立ち上がったところに再び左フックを決め、ケンナコーンがふらついたところでレフェリーが試合を止め、8回2分34秒TKO勝ちを収めた。この試合でWBA王座は6度目、IBF王座の4度目の防衛に成功した。なお、観客は7000人が収容され、試合の模様はひかりTVとAbemaのペイ・パー・ビューで同時に生配信され、井上の国内世界戦で地上波生中継がないのは初めてとなった[138][139]。
日本人初の三団体統一王者に[編集]
2022年3月30日、WBC世界バンタム級王者ノニト・ドネアと2年7か月振りの再戦となる三団体統一戦を同年6月7日のさいたまスーパーアリーナにて行う旨を発表した[140]。そして試合当日、井上は、日本人初の三団体統一戦としてドネアと約2年7か月振りの再戦を果たす。1回終了間際に右ストレートでダウンを奪い、2回には序盤から攻勢に出て2度大きくドネアをぐらつかせた後、左フックで2度目のダウンを奪うとレフェリーが試合を止め、2回1分24秒TKO勝ちを収めた。この試合で新たにWBC王座を獲得、またWBA王座の7度目、IBF王座の5度目の防衛にも成功し、日本人初の三団体統一王者となった。勝利した井上は、試合後リング上で行われたインタビューで今後の展望について「自分が目標としている四団体統一、それが年内にかなうとするならばまだバンタム級で戦う。もしかなわないならスーパーバンタム級に上げて新たなステージで挑戦したい」と語った[141]。なお、観客は1万7000人が収容され、試合の模様は日本国内がAmazon Prime Video(Amazon Prime Videoが日本でサービスを開始した2015年9月以降の国内で配信された作品として、視聴数が初日配信史上1位を記録[142])、海外ではESPN+で配信され[143]、ファイトマネーは約2億1000万円となった[144]。
アジア人初の四団体統一王者に向けて[編集]
2022年6月8日、ドネアとの2戦目から一夜明け横浜市内の所属ジムで会見を行い、「このバンタム級で本当のNo.1を目指したい。階級を早く上げろという人もいるけど、自分の価値を上げてスーパーバンタム級に上がりたい。バンタム級統一を第一目標にしたい。まだ強くなりますよ。ピークではない」と語った[145]。
所属ジムの大橋秀行会長は、WBO王者ポール・バトラーとの対戦交渉が始まっており状況が良好で、12月に首都圏の1万5000人程度が収容できる会場を予約したことを明かした[146]。なお、バトラーも「日本で試合をしたい。そう願わなければ愚か者だと思う」「10月頭には準備ができている可能性もある」と具体的な時期にも言及し、井上との対戦を熱望した[147]。
パウンド・フォー・パウンド・ランキング第1位に選出[編集]
2022年6月10日(日本時間で11日)、世界で最も権威のあるアメリカのボクシング専門誌『ザ・リング』が格付けするパウンド・フォー・パウンド・ランキング(PFPランキング)において、井上が第1位に選出され[9][10][11][12][13][148]、2022年8月24日のランキング更新で第2位に後退するまでの間1位を維持した[149]。
2022年10月13日、横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズで開かれた記者会見において、ポール・バトラーとの四団体王座統一戦が12月13日に有明アリーナで開催されることが正式発表された[150]。
来歴[編集]
アマチュアキャリア[編集]
座間市立栗原小学校[16]1年で父の下でボクシングを始める[17]。初の試合出場は6年生の時で、全国大会で座間市立栗原中学校[16]2年生の相手にRSC勝ちを収めた[18]。中学校3年のときに行われた第1回全国U-15大会で優秀選手賞を受賞。
新磯高校(現・相模原弥栄高校)1年でインターハイ・国体・選抜の三冠を達成し、アジアユース選手権で銅メダルを獲得[19]。
2年時には世界ユース選手権でベスト16入りし[20]、インターハイはベスト8に終わるものの、国体を連覇。また、初出場の全日本アマチュア選手権では決勝で林田太郎に敗れ準優勝。同階級の田中亮明(当時中京高、後の2020年東京五輪フライ級銅メダリスト)との対戦成績は4戦全勝。
3年時にはインドネシア大統領杯で初の国際大会金メダルを獲得。さらに世界選手権出場を果たし、フライ級で3回戦まで進むが、キューバの選手に12-15の判定負けを喫しベスト16。国内ではインターハイに加え、全日本選手権で初優勝するとともに技能賞を獲得[21]。高校生初のアマチュア7冠を達成した[17][22]。
2009年のトキめき新潟国体ではライトフライ級に出場し、準決勝で寺地拳四朗(後のWBC世界ライトフライ級王者)を破っている。
2012年4月5日より、同年に開催されるロンドンオリンピックの予選会を兼ねたアジア選手権に出場し、ライトフライ級で決勝まで進むが、同月12日、2005年の世界選手権で銅メダリストになっている地元カザフスタンのビルジャン・ジャキポフ(英語版)に11-16の判定負けを喫して銀メダルにとどまり、目標としていたロンドンオリンピック出場を逸した[23][24](※試合内容の動画あり)。当時、19歳であった。
プロキャリア[編集]
2012年、大橋ボクシングジムに入門[22]。ジムとの契約書には井上自身の希望で「強い選手と戦う。弱い選手とは戦わない」との条件が付帯された[26]。7月2日に開かれたプロ転向・大橋ジム入りの発表会見では井岡一翔(井岡)が持つ世界王座最短奪取記録の更新を宣言した[27]。プロテストはスーパーバンタム級でB級ライセンスを受験[28]。実技試験は後楽園ホールの興行内で公開され、日本ライトフライ級王者・黒田雅之(川崎新田)を相手に左右の連打でコーナーに追い詰めるなど、実力を示して合格を果たした[30]。
プロデビュー戦は、10月2日に後楽園ホールにてOPBF東洋太平洋ミニマム級7位にランクされているクリソン・オマヤオ(フィリピン)と49キロ契約8回戦で対戦[17][31]。プロ受験時のライセンスはB級だが特例によりA級(8回戦以上)ライセンスが認められてのデビュー戦となり、A級デビューは1987年の赤城武幸以来25年ぶり7人目で10代は初[32][33]。次の8回戦デビューは2022年の但馬ミツロまで待つことになったため[34]、結果的に平成唯一の8回戦デビューとなった。また、この試合は深夜録画ながらTBSの地上波「ガッツファイティング」で中継された[33][35]。試合は1回に右ボディーブローでダウンを奪い、4回に左ボディーブローを打ち込んでマットに沈め4回2分4秒KOで勝利[36]。プロ転向からわずか3か月でOPBF東洋太平洋ライトフライ級10位にランクインし[37]、日本ライトフライ級6位にもランクされた[38]。
2013年1月5日、後楽園ホールにて前WBA世界ミニマム級王者八重樫東(大橋)の再起戦を前座に差し置き、メインイベントでタイライトフライ級王者ガオプラチャン・チュワタナ(タイ)と50キロ契約8回戦で対戦。当初陣営は、世界ランカーとの対戦を計画し3選手と交渉し1選手とは契約寸前までいったが、相手側の交渉人が井上のデビュー戦の動画を見てキャンセルしてきたという。また、この試合はTBSによってデビュー2戦目としては異例の夕方に地上波生中継された[39]。試合はガオプラチャンの右の打ち終わりに合わせたシャープな左フックで相手をキャンバスに沈め、1回1分50秒KOで下した[40]。この試合で、デビュー戦以来2試合連続となる月間最優秀選手賞を東日本ボクシング協会から受けた[41]。
2013年4月16日、後楽園ホールにて日本ライトフライ級1位の佐野友樹(松田)とノンタイトル10回戦で対戦。この試合はフジテレビ(カスペ!・ EXCITING TIME)で生中継され、同局では21年ぶりのゴールデンタイムでのボクシング中継となった[42]。試合は1回に左フックで相手の右目尻をカットさせると、2回に左ボディブローのフェイントから左フックでダウンを奪うが、3回に打った右ストレートが佐野の頭部に当たった際に右拳を負傷。以降は右のパンチを打てず、左手一本での戦いを余儀なくされたが、それでも4回に左フックからの連打でダウンを奪い、10回1分9秒TKO勝ちで下した[43]。この勝利で日本ライトフライ級1位にランクされた[44]。
5月19日の「ボクシングの日」イベントのトークショーに高野人母美(山上)らとともに参加[45]。
日本王座獲得[編集]
2013年8月25日、スカイアリーナ座間にて日本ライトフライ級王者の田口良一(ワタナベ)と対戦。試合は3-0(97-94、98-93、98-92)の判定勝ちで、辰吉丈一郎以来23年ぶりに当時国内最短タイ記録となる4戦目での日本王座を獲得した[46](2019年に女子の千本瑞規、2022年に男子の記録としても但馬ミツロによりともに2戦に更新される)。この勝利でOPBF東洋太平洋ライトフライ級1位にランクインし[47]、WBA世界ライトフライ級5位[48]、WBC世界ライトフライ級10位[49]、WBO世界ライトフライ級15位[50]にもランクされた。また、田口からは『リング』誌のランクも奪い、この試合後には同誌の定めるライトフライ級ランキングにも初登場した[51]。
2013年10月18日付で日本ライトフライ級王座を返上。3日後の10月21日、八重樫東と3分2回のエキシビションマッチを披露した[52]。
東洋太平洋王座獲得[編集]
2013年12月6日、両国国技館にて小野心(ワタナベ)の王座返上に伴い行われたOPBF東洋太平洋ライトフライ級王座決定戦で、OPBF東洋太平洋ライトフライ級2位のヘルソン・マンシオ(フィリピン)と対戦。試合は2回に連打でダウンを奪うなど有利に進め、5回2分51秒TKO勝ちで八重樫東らと並ぶ当時の国内男子最短タイ記録となるデビュー5戦目でOPBF王座を獲得した[53]。
2014年2月28日、世界タイトル挑戦のためOPBF王座を返上[54]。
6戦目での世界王座獲得[編集]
2014年4月6日、大田区総合体育館にてWBC世界ライトフライ級王者アドリアン・エルナンデス(メキシコ)に挑戦。井上の大橋ジムの先輩である八重樫東、大橋ジム会長の大橋秀行、そして大橋が現役時代に所属していたヨネクラボクシングジム会長の米倉健司と大橋ジム系3世代に亘って日本人男子世界王座獲得最短記録更新に失敗しており、4世代目となる井上による悲願達成が期待されての挑戦となった。試合の3週間前にインフルエンザにかかるなど、体調は万全に程遠かったが、試合開始早々からスピードと手数で一方的に圧倒し、4回終了時の公開採点でもジャッジ3者とも40-36のフルマークでリードしていたが、減量苦の影響で3回終了時から左足の太ももの裏がつってしまい、まともに足が動かない状態となった。最終ラウンドまで左足がもたないと判断し、覚悟を決めて打ち合いを挑んだ6回に接近戦で右フックでダウンを奪うとレフェリーがストップし6回2分54秒TKO勝ちを収め[55]、プロテスト実技試験終了後に宣言したとおり、当時日本人男子最速となるプロ入り6戦目での世界王座獲得に成功した[56](後に田中恒成がデビュー5戦目で王座獲得し記録更新)。この勝利はWBCから評価され、2014年4月度の月間MVPに選出された[57]。試合を中継したフジテレビは5月18日深夜に、この世界王座獲得試合の完全保存版を放送した[58]。
試合の一夜明け会見では、左足がつった事をはじめとして減量苦の影響が顕著である事を考慮して、防衛戦をしないまま王座を返上して階級を上げる事も検討する意向を示したが、その後「防衛戦を行う事は王者としての責任」と語り、階級を上げるのは初防衛に成功してからにする事を決めた。
2014年9月5日、国立代々木第二体育館にて元PABAミニマム級王者でWBC世界ライトフライ級13位のサマートレック・ゴーキャットジム(タイ)と対戦。試合は4回と6回にダウンを奪い、11回1分8秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。試合後には改めて王座を返上し、階級を上げることを表明した[59]。
8戦目での2階級制覇達成・世界ボクシング界の年間MVP獲得[編集]
1階級上のフライ級でも減量が厳しいため、一気に2階級上のスーパーフライ級への転向を視野に入れつつ、12月30日に予定している大橋ジムとフジテレビの主催興行での世界王座挑戦を目指して陣営の交渉が行われた。まず、WBA世界スーパーフライ級王者河野公平への挑戦を正式に申し入れしたが、河野の試合が指名試合になる可能性がある事に加え、河野が所属するワタナベボクシングジムは2011年以来、毎年12月31日にテレビ東京放送の元で大晦日興行を開催しており、河野も既に大晦日に防衛戦を行う事が内定していたため、断られた[60]。
その後、大橋ジムからマッチメイクを依頼されたジョー小泉が、WBA世界フライ級王者ファン・カルロス・レベコ(アルゼンチン)との対戦を交渉したが、レベコは10月31日に暫定王者のヨーッモンコン・ウォー・センテープとの統一戦が決まっており、年末に向けての本格的な交渉を始めるにはこの試合で怪我を負うことなく防衛することが条件であり、年末まで残された時間も短い状況だった。その際、レベコのマネージャーが同じアルゼンチン人(オズワルト・リベロOR・プロモーションズCEO)であるWBO世界スーパーフライ級王者オマール・ナルバエスのマネージャーも兼任していたため、両者のどちらかへの挑戦を見据えて交渉を行い、レベコが左腕上腕の筋肉を裂傷してヨーッモンコンとの統一戦が延期された事が決定打となり、ナルバエスへの挑戦が決定した[61]。
2014年11月6日、スーパーフライ級へ転向するためにWBC世界ライトフライ級王座の返上を発表した[62][63]。
2014年11月24日、元世界5階級制覇王者ノニト・ドネア(フィリピン)からナルバエス対策のアドバイスを受けた[64]。
2014年12月21日、トレーナーである父・真吾が2014年のエディ・タウンゼント賞を受賞した[65]。
2014年12月30日、東京体育館でWBO世界スーパーフライ級王者オマール・ナルバエス(アルゼンチン)に挑戦。ナルバエスはフライ級世界王座を16連続防衛、WBO世界スーパーフライ級王座を11連続防衛中でプロ・アマ通じて20年以上150戦超のキャリアで一度もダウンを喫した事はなく、唯一のプロでの敗戦は1階級上のバンタム級でノニト・ドネアに判定負けしたのみでスーパーフライ級以下では14年間無敗の王者であり、井上自身も試合前には「観客からのブーイング覚悟でKOは捨てて判定でもいいから勝ちにいかないと勝負にならない相手」とコメントしていた。しかし、試合は序盤から井上が攻勢に出て初回から2度のダウンを奪う一方的な展開となり、2回も井上の攻勢は続き、この試合4度目のダウンでナルバエスが立ち上がることが出来ず、2回3分1秒KO勝ちを収め当時世界最速となる8戦目での飛び級での2階級制覇(現在はワシル・ロマチェンコの7戦目)を達成し、それまで世界最速だったポール・ウェアーの9戦目での2階級制覇を20年ぶりに塗り替えた[66][67]。試合直後のリング上ではナルバエス陣営がグローブに鉛を仕込んでいるのではないか?とクレームをつけた。大橋秀行会長が井上尚弥のグローブをその場で外して相手に確認させるとナルバエスのトレーナーは、苦笑いを浮かべて「グレートなニューチャンプだ!」と一言返したとのこと[68]。試合を放送したアルゼンチンのテレビも「ナルバエスはこれまでの全キャリアで食らったパンチよりも深いダメージを井上との2ラウンドで被ってしまった」と解説し、試合終了の瞬間、進行役が「イノイエ!」と絶叫したほどだった[69]。試合後、ナルバエスは「私のコンディションは良かったし、調整もきちんとしていたが、1ラウンドの一発目から効いてしまい、パンチ力に驚いた。本当に超ストロングなパンチだった。もっと上の階級のパンチ力だったし、パンチが速過ぎて見えなかった。気力ではなく体が限界だった。井上はノニト・ドネアよりも強かった。私を負かし、驚かせた。彼はまだ21歳。大きな未来が待っている。歴史的なチャンピオンになれると思う」とコメントした[70][71]。
この試合で井上は右拳を痛めてしまい、4月に予定されていた初防衛戦ではオプションによって再戦権を持つナルバエスとの再戦が内定していたが、治療に専念するために延期した[72]。
2014年12月31日、井上は、ボクシング・シーン・ドットコムとコンド・アウト・ドットコムに2014年の年間MVPに選出され[73]、2015年1月1日にファイトニュース・ドットコムの2014年の年間MVPに選出された[74]。
2015年1月6日、後楽園飯店で行われた2014年の年間表彰選手選考会に於いて、井上は2014年最優秀選手賞とKO賞に選出され、上述のナルバエス戦が年間最高試合に選出されるなど3冠を達成した[75]。1月10日、WBOの2015年1月度月間MVPに選出された[76][77]。
2015年3月、前年12月のナルバエス戦で痛めた右拳が脱臼していたことが判明した為、手術を行った[78]。
2015年12月1日、弟・拓真とともに大手芸能プロダクションのホリプロと専属マネジメント契約を締結した[79]。
2015年12月29日、有明コロシアムでWBO世界スーパーフライ級1位のワーリト・パレナス(フィリピン)と対戦。パレナスはかつて日本の勝又ボクシングジムに所属しウォーズ・カツマタのリングネームで活動していた。試合は2回にパレナスのガードの上から右フックを叩き込んでダウンを奪う衝撃的な破壊力を発揮するなど、2度のダウンを奪って1分20秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した[80]。この一戦を評した元世界スーパーフライ級チャンピオンの佐藤洋太は、パレナスとのスパーリング中に自分がダウンを喫した逸話を紹介してパレナスの強さを称えつつ、そのパレナスを圧倒した井上を高く評価している[81]。
2016年5月8日、有明コロシアムでWBO世界スーパーフライ級1位の指名挑戦者デビッド・カルモナ(メキシコ)と対戦。初回から圧倒していたが、2回に右ストレートをカルモナのこめかみにヒットさせた際に古傷である右拳を負傷。それでも井上は怪我をセコンドに伝えずに左手一本で戦い続け、5回開始前になってセコンドに怪我のことを伝えて指示を受けながら戦うが、8回頃に今度は左拳までも負傷してしまった。しかし、それでも巧みな試合運びで主導権を握り続け、最終12回にはKOを狙って痛みに耐えながら猛攻を仕掛けてダウンを奪うなどKO寸前まで追い込み、12回3-0(2者が118-109、116-111)の判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した[82][83]。
2016年9月4日、スカイアリーナ座間でWBO世界スーパーフライ級1位でABCOコンチネンタル王者のペッバーンボーン・ゴーキャットジム(タイ)と対戦。
当初はオプションによる再戦権を持つWBO世界スーパーフライ級1位の前王者オマール・ナルバエスとの再戦が予定されていたがナルバエスがバンタム級転向を理由に対戦を辞退。続いて英国のメディアに対して井上との対戦を希望する発言を繰り返していた元IBF世界スーパーフライ級王者でWBO世界スーパーフライ級2位のゾラニ・テテにオファーをしたものの、テテもバンタム級転向を理由に対戦を拒否したため、WBO世界スーパーフライ級3位のペッバーンボーンとの対戦となり、試合時にはペッバーンボーンはWBO世界スーパーフライ級1位となっていた[84]。序盤はジャブを丁寧に突きながら試合を組み立てるが、後半になると試合2、3週間前に患ったという腰痛、さらには右拳を痛めた影響が出て不用意なパンチをもらうようになる。それでも相手にポイントは与えず、打ち合いの中で10回にダウンを奪い、10回3分3秒KO勝ちを収め3度目の防衛に成功した。試合後のリング上で大橋ジムの大橋秀行会長は6日後に井上との対戦が期待されるローマン・ゴンサレスがWBC世界スーパーフライ級王者カルロス・クアドラスに挑戦する試合を井上と共にアメリカで現地観戦し、来年にゴンサレス戦を実現させるべく交渉することを宣言した[85]。一夜明け会見で大橋会長は井上の次期防衛戦について、4日前に河野公平に勝利し、WBA世界スーパーフライ級王者になったルイス・コンセプシオン(パナマ)に統一戦のオファーを出したことを明らかにした[86]。10月10日、WBOは、井上をWBOの2016年10月度の月間MVPに選出した[87][88]。
2016年12月30日、有明コロシアムで元WBA世界スーパーフライ級王者でWBO世界スーパーフライ級10位の河野公平(ワタナベ)と対戦し、6回1分1秒TKO勝ちを収め、4度目の防衛に成功した[89]。
2017年5月21日、有明コロシアムでWBO世界スーパーフライ級2位でWBOラテンアメリカ王者のリカルド・ロドリゲス(アメリカ)と対戦し、3回1分08秒でTKO勝ちを収め、5度目の防衛に成功した[90]。
2017年9月9日、カリフォルニア州カーソンのスタブハブ・センター・テニスコートで行われた「SUPER FLY」にてローマン・ゴンザレスvsシーサケット・ソー・ルンヴィサイ第二戦の前座でWBO世界スーパーフライ級7位で元NABO北米バンタム級王者のアントニオ・ニエベス(アメリカ)と対戦し、ニエベスが6回終了時に棄権した為、6度目の防衛に成功しアメリカデビュー戦を飾った[91][92]。この試合で井上は182,500ドル(約2000万円)、ニエベスは35,000ドル(約400万円)のファイトマネーを稼いだ[93]。またこの試合は米国ではHBOのボクシング中継番組『ボクシングアフターダーク』で中継された。
2017年12月30日、横浜文化体育館でWBO世界スーパーフライ級6位で元フランスバンタム級王者のヨアン・ボワイヨ(フランス)と対戦し、3回1分40秒TKO勝ちを収め、7度目の防衛に成功した[94][95]。
16戦目での3階級制覇達成[編集]
2018年3月6日、同年5月25日に大田区総合体育館でWBA世界バンタム級正規王者のジェイミー・マクドネル(イギリス)と対戦し3階級制覇を目指すと発表した。井上が保持していたWBO世界スーパーフライ級王座は同日付で返上した[96][97]。World Boxing Super Seriesのプロモーターのカッレ・ザウアラントが、井上が今回3階級制覇を達成した場合、World Boxing Super Seriesのバンタム級に出場することで井上側と条件面で合意している事を明らかにした[98]。
2018年5月25日、WBA世界バンタム級王者ジェイミー・マクドネルと対戦、身長差で10cm、リーチ差で12cm上回っているマクドネルに対し、開始直後に左ボディが当たるとすぐさま攻勢を仕掛け、左ボディでダウンを奪う。その後もラッシュを仕掛け、初回1分52秒TKO勝ちを収め日本最速となる3階級制覇を達成した[99][100]。この試合はアメリカではESPNのストリーミングサービス「ESPN+」で生配信された[101][102]。マクドネルは前日計量を1時間10分ほど遅刻してまでギリギリの減量を行った後に脱水症状を起こし、試合当日には1日で12kgも体重を回復させるなど、厳しい減量に苦しんでいた[103][104]。
World Boxing Super Series 参戦[編集]
2018年7月11日、WBSSが正式に井上の出場を発表した[105][106]。7月20日にはロシア・モスクワで組み合わせ発表会が開催され、主催者により第2シードに選ばれた井上は一回戦の相手に元WBA世界バンタム級スーパー王者ファン・カルロス・パヤノ(ドミニカ共和国)を指名した[107][108][109]。
2018年10月7日、横浜アリーナでWBA世界バンタム級4位で元WBA世界バンタム級スーパー王者ファン・カルロス・パヤノとWBSS一回戦を行い、1回1分10秒KO勝ちを収め初防衛に成功しWBSSの準決勝に進出した[110]。1分10秒の間に井上は合計3発しかパンチを放っておらず[111][112]、井上の高速のワンツーがクリーンヒットしパヤノは後頭部から倒れ、パヤノの8年のプロ・キャリアで初めてのKO負けとなった。
この試合で井上は2018年度リングマガジン ノックアウト・オブ・ザ・イヤーを受賞[113]。
2018年10月20日、フロリダ州オーランドのCFE・アリーナで行われたWBSS一回戦の一つであるIBF世界バンタム級タイトルマッチを観戦。勝者となったIBF世界バンタム級王者エマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)とリング上で対面し、次戦となるWBSS準決勝での対戦を煽った[114]。
2019年5月18日、イギリス・グラスゴーのThe SSE HydroでWBSS準決勝としてIBF世界バンタム級王者エマヌエル・ロドリゲスと対戦。無敗の王者同士の対決で、この試合は事実上の決勝戦とされていたが、井上が2Rに3回ダウンを奪い、2R1分19秒でTKO勝ちを収め、WBSS決勝戦への進出を決めると共に、WBA王座の2度目の防衛、並びにIBF王座及びリングマガジン王座獲得に成功した[115]。なおこの試合は王座統一戦を行う場合にIBFはWBAの世界王座として最上位のスーパー王座しか認めていないため、王座統一戦として認められず、IBF世界バンタム級タイトルマッチとして、ロドリゲスのIBF王座のみが懸けられて行われた[116]。
2019年5月31日、WBAはIBF王座を獲得した井上をWBA世界王者からWBA世界ユニファイド王者に認定した[117]。
2019年11月7日、さいたまスーパーアリーナでWBA世界バンタム級スーパー王者ノニト・ドネアと対戦し、試合は2回にドネアの左フックをもらってプロになって初めて右目上部をカット。この後から最後まで、井上はドネアが二重に見えていたという[118]。8回にはドネアが攻勢を仕掛け、井上は鼻から出血した。しかし11回に左ボディをヒットさせ、ドネアは下がるように歩いてから膝をついてダウン。そのまま判定にもつれ込み、12回3-0(116-111、117-109、114-113)の判定勝ちを収め、WBA王座の王座統一による3度目の防衛、IBF王座の初防衛に成功し、WBSSバンタム級初代王者に輝いた[119]。この試合は、2019年度のリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーを受賞した[120]。試合後の会見で、米プロモート大手のトップランク社と複数年契約を結んだことを発表した[121]。
一夜明け横浜市内の所属ジムで会見を行い、今後について「まだ具体的な話はしていない」とした上で、「ここまで来たら最強を証明していくだけ。バンタムで敵がいないくらいにしたい。ウバーリ、テテ。残っているのはそれくらい」とバンタム級に残留しWBC王者ノルディーヌ・ウバーリ、WBO王者ゾラニ・テテの2人の名前を出し、四団体統一を視野に入れていることを明かした[122]。
この試合の後、井上は自身のTwitterで右目眼窩底と鼻を骨折したこと、手術はせずに保存治療をすることを発表した[123]。
2019年12月2日、浩樹のWBOアジア太平洋スーパーライト級王座決定戦を観戦しに後楽園ホールへ行った際に取材に応じ、11月30日に行われたWBO世界バンタム級王座統一戦でテテを下してWBO王者となったジョンリル・カシメロとの対戦を希望した[124]。一方、ウバーリについては「また拓真がいけばいい」と発言した[125]。
2020年1月31日、井上は都内で会見し、4月25日にラスベガスのマンダレイ・ベイ・イベント・センターでWBO王者かつ3階級制覇王者のジョンリル・カシメロと日本人初の三団体統一戦をメインイベントにて行うことを正式発表した。この会見で井上は「この三団体統一という試合に凄く意味があると思っていて、バンタム級での四団体統一を目指す上で欠かせない試合。まずはラスベガスでの試合を危なげなくクリアして次に進めたい」と語り、世界ボクシング史上4人しかいない四団体統一王者を目指していく方針を明らかにした[126]。
しかし、カシメロとの三団体統一戦は新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け中止となり、10月31日(日本時間で11月1日)、アメリカ・ラスベガスにおいてWBO世界バンタム級1位、WBA同級3位のジェイソン・モロニーとの対戦がトップランクより発表された[127]。
ボクシングの聖地、ラスベガスデビュー[編集]
2020年10月31日(日本時間11月1日)、ネバダ州ラスベガスのMGMグランド内ザ・バブルにてWBO世界バンタム級1位、WBA同級3位のジェイソン・モロニーと対戦。この試合はメインに抜擢され、さらに新型コロナウイルスの影響で無観客試合という状況にも関わらず、ファイトマネーは破格の1億円[128]。
試合は終始井上がペースを握り、6回にはカウンターの左フックでダウンを奪い、さらにカウンターの右ストレートで7回2分59秒KO勝利を収め、見事聖地ラスベガスでの白星デビューを果たした。この試合でWBA王座4度目、IBF王座2度目の防衛に成功した[129]。試合後のインタビューでは今後について「計画としてはWBCのウバーリ、WBOのカシメロ。両選手をターゲットとして考えているので、タイミングの合う方とやりたい」と統一戦を熱望した[130]。一方のカシメロも1日夜、自身のSNSで、フィリピンと日本の旗の絵文字とともに「さあ、続こう!」とツイートし、対戦に応じる姿勢を示した[131]。
2021年2月11日、国立代々木競技場で開催のチャリティーボクシングイベント『LEGEND』で元WBC世界フライ級王者・比嘉大吾と対戦した[132]。
2021年5月5日、ラスベガスのヴァージン・シアターでIBF世界バンタム級1位の指名挑戦者であり元IBO世界バンタム級王者のマイケル・ダスマリナスと対戦する事がトップランクより発表された[133]。
2021年6月19日、ダスマリナスと対戦。試合は2回にダウンを奪うと、3回には左ボディで再びダウン。再開後も三度左ボディを食らわせるとダスマリナスはキャンバスに崩れ落ち、レフェリーがノーカウントで試合を止め、3回2分45秒TKO勝ちを収め、WBA王座は5度目、IBF王座の3度目の防衛に成功した[134]。この試合をリングサイドで観戦し、8月14日に王座統一戦を行うことが発表されたWBC同級王者のノニト・ドネアとWBO王者のジョンリル・カシメロがともに試合後のWOWOW中継にゲスト出演し、井上との対戦を熱望、井上もその後自身のSNSに「次が本当の勝負。ドネアVSカシメロの勝者と4団体統一戦を希望希望希望!!!」と投稿した[135]。
しかし同年9月に、ドネアはWBC暫定王者レイマート・ガバリョ、カシメロはWBO同級1位ポール・バトラーとの統一戦を各団体から指示されたことにより、年内の統一戦実現は難しくなった。井上はこれに対して「まぁあくまで今は俺の適性階級はこのバンタム級だから時期が来るまで気長にね、、皆さんも気長にね、、いずれスーパーバンタム級にあげる予定だからその準備もしながらね、、バンタム級で4本のベルトは必ず巻く」と投稿した[136]。
2021年11月29日、井上はオンラインで記者会見を開き、12月14日にIBF5位、WBA8位のケンナコーン・ルアンカイモック (アラン・ディパエン)と約2年1カ月ぶりに国内防衛戦を行うことを発表した[137]。
2021年12月14日、両国国技館でケンナコーンと対戦。相手のタフネスぶりに手を焼くも、8回に左フックでダウンを奪うと、立ち上がったところに再び左フックを決め、ケンナコーンがふらついたところでレフェリーが試合を止め、8回2分34秒TKO勝ちを収めた。この試合でWBA王座は6度目、IBF王座の4度目の防衛に成功した。なお、観客は7000人が収容され、試合の模様はひかりTVとAbemaのペイ・パー・ビューで同時に生配信され、井上の国内世界戦で地上波生中継がないのは初めてとなった[138][139]。
日本人初の三団体統一王者に[編集]
2022年3月30日、WBC世界バンタム級王者ノニト・ドネアと2年7か月振りの再戦となる三団体統一戦を同年6月7日のさいたまスーパーアリーナにて行う旨を発表した[140]。そして試合当日、井上は、日本人初の三団体統一戦としてドネアと約2年7か月振りの再戦を果たす。1回終了間際に右ストレートでダウンを奪い、2回には序盤から攻勢に出て2度大きくドネアをぐらつかせた後、左フックで2度目のダウンを奪うとレフェリーが試合を止め、2回1分24秒TKO勝ちを収めた。この試合で新たにWBC王座を獲得、またWBA王座の7度目、IBF王座の5度目の防衛にも成功し、日本人初の三団体統一王者となった。勝利した井上は、試合後リング上で行われたインタビューで今後の展望について「自分が目標としている四団体統一、それが年内にかなうとするならばまだバンタム級で戦う。もしかなわないならスーパーバンタム級に上げて新たなステージで挑戦したい」と語った[141]。なお、観客は1万7000人が収容され、試合の模様は日本国内がAmazon Prime Video(Amazon Prime Videoが日本でサービスを開始した2015年9月以降の国内で配信された作品として、視聴数が初日配信史上1位を記録[142])、海外ではESPN+で配信され[143]、ファイトマネーは約2億1000万円となった[144]。
アジア人初の四団体統一王者に向けて[編集]
2022年6月8日、ドネアとの2戦目から一夜明け横浜市内の所属ジムで会見を行い、「このバンタム級で本当のNo.1を目指したい。階級を早く上げろという人もいるけど、自分の価値を上げてスーパーバンタム級に上がりたい。バンタム級統一を第一目標にしたい。まだ強くなりますよ。ピークではない」と語った[145]。
所属ジムの大橋秀行会長は、WBO王者ポール・バトラーとの対戦交渉が始まっており状況が良好で、12月に首都圏の1万5000人程度が収容できる会場を予約したことを明かした[146]。なお、バトラーも「日本で試合をしたい。そう願わなければ愚か者だと思う」「10月頭には準備ができている可能性もある」と具体的な時期にも言及し、井上との対戦を熱望した[147]。
パウンド・フォー・パウンド・ランキング第1位に選出[編集]
2022年6月10日(日本時間で11日)、世界で最も権威のあるアメリカのボクシング専門誌『ザ・リング』が格付けするパウンド・フォー・パウンド・ランキング(PFPランキング)において、井上が第1位に選出され[9][10][11][12][13][148]、2022年8月24日のランキング更新で第2位に後退するまでの間1位を維持した[149]。
2022年10月13日、横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズで開かれた記者会見において、ポール・バトラーとの四団体王座統一戦が12月13日に有明アリーナで開催されることが正式発表された[150]。

Amateur career[edit]
Inoue won the Japanese Interscholastic Athletic Meeting and the Japanese Junior National Championships in 2009. In 2010, he took the bronze medal in the Asian Youth Championships in Tehran, Iran, and won the Japanese Junior Selection Tournament. He then participated in the AIBA Youth World Championships, but lost to Yosvany Veitía in the third preliminary round. He finished in the second place at the Japanese National Championships in the same year.[16]
In July 2011, he took the gold medal in the 21st President’s Cup in Jakarta, Indonesia.[17][18][19] He subsequently won the first place in the Japanese Interscholastic Athletic Meeting in that year.[16] However, he was eliminated in the third round by Yosvany Veitía in the 2011 World Amateur Boxing Championships at the Heydar Aliyev Sports and Exhibition Complex in Baku, Azerbaijan, and lost to Birzhan Zhakypov in the final at the 2012 Asian Boxing Olympic Qualification Tournament in Astana, Kazakhstan.[20] His amateur record was 75–6 (48 KOs and RSCs).[20]
Highlights[edit]
Asian Youth Championships (48 kg), Tehran, Iran, March 2010:
AIBA Youth World Championships (48 kg), Baku, Azerbaijan, April 2010:
President’s Cup (49 kg), Jakarta, Indonesia, July 2011:
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AIBA World Championships (49 kg), Baku, Azerbaijan, September–October 2011:
Asian Olympic Qualifier (49 kg), Astana, Kazakhstan, April 2012:
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Background[edit]
Naoya Inoue emerged as the winner of the 2018–19 World Boxing Super Series, when he defeated WBA (Super) champion Nonito Donaire in the final via unanimous decision on 7 November 2019 to unify the WBA (Super), IBF and The Ring bantamweight titles.[3] Inoue would defend his unified titles three times – against challengers Jason Moloney, Michael Dasmariñas and Aran Dipaen – before facing Donaire, who had since won the WBC title, in a rematch on 7 June 2022. Inoue prevailed via second-round technical knockout to unify three of the four major world titles in the bantamweight division and retain his undefeated record.[4]
John Riel Casimero had captured the WBO bantamweight title on 30 November 2019 with a third-round technical knockout victory over Zolani Tete,[5] and a unification clash between Inoue and Casimero had been scheduled for 25 April 2020; however, the fight was ultimately cancelled due to the COVID-19 pandemic.[6] Casimero reigned as the WBO champion until 4 May 2022, when he was stripped by the WBO after twice failing to defend the title against mandatory challenger Paul Butler.[7] Butler, who had defeated Jonas Sultan via unanimous decision twelve days earlier to win the WBO interim title, was elevated to become the full WBO champion, making him a two-time bantamweight champion, having previously held the IBF title in 2014.[8]
Amateur career[edit]
Butler won the 2010 Amateur Boxing Association British flyweight title, when boxing out of the Vauxhall Motors ABC.[1]
Professional career[edit]
Career beginnings[edit]
Early career[edit]
Butler made his professional debut against Anwar Alfadi on 11 December 2010. He won the fight on points, after four rounds were contested. Butler amassed an 8–0 record during the next 23 months, with three of those victories coming by way of stoppage.[2]
Butler faced John Donnelly for the vacant British super-flyweight title on 9 November 2012 at the Liverpool Olympia in Liverpool, England.[3] Butler won the BoxNation broadcast bout by a first–round knockout. He floored Donnelly with a strike to the ribs after just 59 seconds, which left Donnelly unable to rise in time for the ten–count.[4] During the post–fight drug test, Donnelly tested positive for benzoylecgonine.[5]
Following a fourth–round technical knockout of Anwar Alfadi on 21 March 2013, Butler challenged Yaqub Kareem for the Commonwealth super-flyweight title on 20 April 2013, at the Wembley Arena in London, England. He won the fight by a fifth–round technical–knockout.[citation needed] Butler made his first and only Commonwealth title defense against Najah Ali on 28 June 2013. He won the fight by a fourth–round knockout.[6]
Butler faced Miguel González for the vacant WBO Inter-Continental super-flyweight title on 21 September 2013.[7] He won the fight by a dominant unanimous decision, with scores of 117–112, 119–110 and 120–108. Butler made the first defense of his secondary title defense against Ruben Montoya on 7 December 2013, with the vacant WBA Inter-Continental super-flyweight title being on the line as well.[8] He once again won by unanimous decision, with scores of 120–108, 120–109 and 118–110.
Butler moved up to bantamweight for his next bout against Oreste Bernabe Nieva, which took place on 8 March 2014, with the vacant WBA Inter-Continental bantamweight title being on the line. He won the fight by a fourth–round knockout.[9]
IBF bantamweight champion[edit]
Butler was scheduled to challenge the reigning IBF bantamweight champion Stuart Hall, in the latter’s second title defense. The bout was scheduled for 7 June 2014, and took place at the Utilita Arena Newcastle in Newcastle, England, the champion’s hometown. The bout was broadcast by BoxNation.[10] Butler won the fight by split decision. Two judges scored the fight 117–111 and 115–113 for Butler, while the third judge scored it 115–113 for Hall. Butler had a slow start to fight, but appeared to take over as the fight progressed.[11]
Butler faced Ismael Garnica in a non–title bout on 25 October 2014, at the Echo Arena in Liverpool, England. He dominated the fight from start to finish, and won by unanimous decision, with all three judges awarding him every single round of the bout.[12] Following his victory against Garnica, Butler relinquished the IBF bantamweight title, in order to compete against fighters with whom he had size parity, stating “…I’m a natural 115 pounder”.[13]
Post championship career[edit]
Return to super-flyweight[edit]
After vacating the IBF bantamweight title, Butler moved back down to super–flyweight in order to challenge the reigning IBF super-flyweight champion Zolani Tete. The title bout was scheduled as the main event of a BoxNation broadcast card, which was held on 6 March 2015.[14] Tete won the fight by an eight–round technical knockout. He floored Butler with two consecutive left uppercuts, which left the challenger unable to rise from the canvas in time to beat the ten count.[15]
After suffering the first loss of his professional career, Butler jumped up in weight to super-bantamweight, in order to face Gustavo Molina on 11 July 2015. He won the fight by a fifth-round technical knockout.[16] After successfully bouncing back from his loss to Tete, Butler returned to super-flyweight to face Hector Rolando Gusman on 3 October 2015. He won the fight by a first-round knockout, stopping Gusman with a body shot just thirty seconds into the bout.[17]
Butler faced Silviu Olteanu for the vacant WBO European super-flyweight title on 19 December 2015.[18] He won the fight by an eight-round technical knockout, stopping the Romanian with a well place hook to the body.[19] Butler next faced Sebastian Sanchez for the vacant WBO International super-flyweight title on 12 March 2016. He won the fight by a ninth-round knockout.[20]
Return to bantamweight[edit]
Butler vs. Ruiz[edit]
Butler faced Alexis Ruiz on 22 October 2016, in his return to bantamweight. He won the fight on points.[21]
Butler vs. Cazares[edit]
Butler faced Alexander Cazares on 3 December 2016, and once again won the fight on points.
Butler vs. Ruiz[edit]
Butler notched his second ever stoppage victory at bantamweight against Ruben Dario Ruiz on 8 April 2017, as he knocked Ruiz out in the fourth round.[22]
Butler vs. Hall[edit]
Butler faced Stuart Hall for the vacant WBA Continental bantamweight title on 17 September 2017.[23] He won the fight by unanimous decision, with scores of 118-110, 118-110 and 117-111.[24]
Butler vs. Rodriguez[edit]
Butler was scheduled face the undefeated Emmanuel Rodríguez for the vacant IBF bantamweight title on 5 May 2018, at The O2 Arena, on the undercard of the Tony Bellew and David Haye cruiserweight rematch. Rodriguez was ranked #3 by the IBF at bantamweight at the time.[25] Butler missed weight prior to the bout, which left him ineligible to win the vacant belt. He weighed in at 121.5 pounds, 3.5 pounds over the championship limit. Butler furthermore refused to weigh himself in a second attempt.[26] Rodríguez won the fight by a dominant unanimous decision, with scores of 118-108, 120-106, 120-106. Butler was knocked down twice in the final minute of the first round, and failed to achieve much headway during the remaining eleven rounds.[27]
Butler vs. Boyeaux[edit]
Butler returned to action six months later, on 3 November 2018, to face Yoan Boyeaux. He won the fight on points.[28]
Butler vs. Majiha[edit]
Butler faced Fadhili Majiha on 30 March 2019, and again won the fight on points.[29]
Butler vs. Sanchez[edit]
Butler notched his first bantamweight stoppage victory in two years on 18 May 2019, knocking Salvador Hernandez Sanchez out in the sixth-round.[30]
Butler vs. Reyes[edit]
Butler faced the journeyman Joseafat Reyes on 22 September 2019, and won the fight on points.[31]
Butler vs. Walker[edit]
Butler’s sole fight of 2020 came on 18 October, against Ryan Walker, whom he beat on points.[32]
Butler vs. Garcia[edit]
Butler was expected to face Joseph Agbeko for the vacant WBO International bantamweight title on 25 June 2021. Agbeko was forced to withdraw from the bout due to visa issues, and was replaced by Willibaldo Garcia.[33] Butler won the fight by split decision, with scores of 96-94, 97-92 and 94-95.[34]
Second bantamweight title reign[edit]
Butler vs. Sultan[edit]
Butler was booked to fight Jonas Sultan on 22 April 2022, at the M&S Bank Arena in Liverpool, England for the vacant WBO interim bantamweight title. Butler was originally scheduled to challenge WBO bantamweight champion John Riel Casimero in 11 December 2021 and 22 April 2022, before Casimero withdrew before the weigh-ins due to gastritis, and not being permitted by British Boxing Board of Control (BBBofC) due to medical guidelines violation, respectively.[35][36] Sultan was ranked #10 by The Ring, #4 by the WBA, #4 by the WBO and #12 by the IBF at bantamweight.[37] Butler captured the vacant title by unanimous decision, with scores of 116–112, 117–111 and 117–111, utilizing out-fighting tactics to control the fight for the majority of the bout.[38] On May 4, the WBO officially stripped Casimero of the full title and elevated Butler from interim to full champion.[39]
Butler vs. Inoue[edit]
On 25 August 2022, it was announced that Butler would face undefeated WBA (Super), WBC, IBF, and The Ring bantamweight champion Naoya Inoue in a title unification bout. It will take place on 13 December 2022, at a venue and location in Japan that will be announced at a later date, and will be broadcast by Amazon Prime domestically and by ESPN+ in the United States.[40] It will be Butler’s first fight outside of the United Kingdom.[41]
Early life[edit]
Donaire was born in Talibon, Bohol, Philippines, the third of four children to Nonito C. Donaire, Sr. (born 1959, South Cotabato) and Imelda M. Gonzales (born 1950, Talibon).[2][3] His older brother is former boxer Glenn Donaire,[12][13] and his cousin is former boxer Richard Donaire.[14]
Until he was six years of age, Donaire lived in General Santos City, South Cotabato[13] and attended the same school as future eight-division world champion, Manny Pacquiao.[15] Donaire was a child of small stature and was bullied.[16][17][18][19]
Donaire’s father was an amateur boxer who competed in the U.S. in the early 1990s. His paternal grandfather was born in Hawaii, and this gave Donaire American citizenship under the principle of jus Sanguinis.[20] In 1993, at the age of eleven, Donaire joined his father in Van Nuys, California. They later lived in San Leandro, California.[12][16] and San Mateo County, California.[21]
Donaire said that during his childhood he wished for more attention from his parents and, after his brother started boxing, the attention was given to him.[13] This was his reason for entering the sport of boxing at the age of eleven even though he did not enjoy it.[13][19][22][23] His father supported his choice as he felt it would keep Donaire off the streets.[19][22] During their younger years, Donaire and Glenn would spar. Donaire also watched videos of his hero, Alexis Argüello, and from them he learned to throw a powerful left hook.[15]
While enrolled at the San Lorenzo High School in San Lorenzo, California, both Nonito and Glenn won several regional and district amateur boxing championships.[12]
In his first amateur bout, Nonito beat his opponent with straight punches, all the while thinking that “I’m going to kill him before he kills me.”[22] However, Donaire had little confidence until he had five professional knockout victories.[19]
Amateur career[edit]
2010 Commonwealth Games[edit]
Moloney competed in the men’s flyweight division at the 2010 Commonwealth Games.[1][2][3]
Moloney’s first fight of the competition was against Michael Conlan (Northern Ireland). He beat Conlan via a points decision on count-back, in one of the best fights of the tournament.[4]
He would then go on to face Oteng Oteng (Botswana) in the men’s Quarterfinals, losing via a close points decision.[5][6]
Professional career[edit]
Super bantamweight[edit]
Following the 2014 national amateur championships, Moloney turned professional in August 2014.[7] Moloney made his professional debut against Chatri Sariphan on 15 August 2014. He won the fight by a first-round technical knockout. Moloney amassed a 5-0 record during the next year, before being scheduled to face Markquil Salvana for the vacant WBA Oceania super bantamweight title on 18 December 2015. Salvana retired from the fight at the end of the fifth round, due to swelling around his right eye.[8] Moloney made his first WBA Oceania title defense against Junior Bajawa on 19 March 2016. He retained the belt by a fourth-round technical knockout.[9]
After capturing his first professional title, Moloney was scheduled to face Matias Agustin Arriagada in a non-title bout on 20 May 2016. He won the fight by a fifth-round technical knockout. Moloney was scheduled to face Virden Rivera in another non-title bout on 24 June 2016. He won the fight by a third-round knockout.[10] Moloney faced Jeffrey Francisco on 3 August 2016, in a yet another non-title bout. He won the fight by unanimous decision, with scores of 59-54, 59-54 and 60-53.[11]
Moloney made his second WBA Oceania super bantamweight title defense against Gerpaul Valero on 8 October 2016, at the Melbourne Park in Melbourne, Australia.[12] He won the fight by a seventh-round technical knockout. He was leading 60-53 on all three of the judges’ scorecards at the time of the stoppage.[13] Moloney made his third title defense against Enrique Bernache on 10 December 2016, with the fight once again taking place at the Melbourne Park in Melbourne, Australia. He won the fight by a sixth-round technical knockout. Bernache was deducted a point in the fifth round, due to repeated low blows.[14]
Moloney faced Marco Demecillo in a non-title bout on 3 February 2017, in his first fight of the year. He won the fight by unanimous decision, with scores of 80-69, 80-71 and 80-70. Demecillo was deducted a point in the eight round for a low blow.[15] Moloney made his fourth WBA Oceania title defense against Emanuel Armendariz on 3 June 2017. He won the fight by a fifth-round technical knockout, and was leading 40-36, 40-36 and 39-37 on the scorecards at the time of the stoppage.[16] Moloney the fifth and final defense of his secondary WBA title against Lolito Sonsona on 19 August 2017. Aside from the WBA Oceania title, the vacant OPBF Silver title was likewise on the line.[17] He won the fight by unanimous decision, with scores of 100-90, 99-91 and 100-90.[18]
Bantamweight[edit]
WBA Oceania champion[edit]
After successfully defending the WBA Oceania super bantamweight title for the fifth time, Moloney moved down to bantamweight. Moloney was scheduled to face Julias Kisarawe for the vacant WBA Oceania bantamweight title on 21 October 2017, in his first fight at bantamweight. He won the fight by a first-round stoppage, knocking Kisarawe out with two seconds left in the round.[19] Moloney made his first WBA Oceania bantamweight title defense against the one-time WBO title challenger Immanuel Naidjala on 24 February 2018, with the vacant Commonwealth bantamweight title being on the line as well.[20] He won the fight by a third-round technical knockout, after winning the first two rounds on all three of the judges’ scorecards.[21] Moloney made his second WBA Oceania title defense against the former WBA super-flyweight titleholder Kohei Kono on 19 May 2018.[22] He was awarded a stoppage victory after the sixth round, after the ringside doctor determined that a cut to the outside of Kono’s left eye was too severe for him to continue fighting.[23]
Moloney vs. Rodríguez[edit]
Moloney participated in the second season of the World Boxing Super Series, which took place in October 2018 and November 2019, and focused on the bantamweight division. Moloney, at the time the IBF mandatory title challenger, faced the undefeated 18-0 IBF bantamweight champion Emmanuel Rodríguez in the tournament quarterfinals on 20 October 2018, at the Addition Financial Arena in Orlando, Florida.[24] He lost the fight by split decision. Two of the judges scored the fight 115-113 for Rodríguez, while the third judge gave Moloney the identical scorecard. Moloney appeared to take the fight over as it neared the championship rounds, but was unable to overcome the points lead that Rodríguez had accumulated up to that point.[25]
Continued WBA Oceania reign[edit]
Moloney made the third defense of his secondary title against Cris Paulino on 30 March 2019.[26] He won the fight by a fifth-round technical knockout, stopping Paulino at the very last second of the round.[27] Moloney made his fourth WBA Oceania title defense against Goodluck Mrema on 15 June 2019. He won the fight by a third-round knockout, flooring Mrema with a left hook at the 2:23 minute mark.[28] Moloney made his fifth and final WBA Oceania title defense against the one-time WBC super-flyweight title challenger Dixon Flores on 15 November 2019. He won the fight by knockout, stopping Flores midway through the second round.[29] Moloney faced Leonardo Baez in a stay-busy non-title bout on 25 June 2020. Baez retired from the fight at the end of the seventh round.[30]
Moloney vs. Inoue[edit]
Moloney, at the time ranked #6 by The Ring and #1 by the WBO, was scheduled to challenge the reigning WBA (Super), IBF and The Ring bantamweight champion Naoya Inoue on 31 October 2020, at the MGM Grand Conference Center in Paradise, Nevada.[31] Moloney stepped in as a replacement for the WBO bantamweight champion John Riel Casimero, who was forced to withdraw due to the COVID-19 pandemic.[32] Moloney, who entered the bout as a +550 underdog,[33] lost the fight by a late seventh-round knockout. Inoue first knocked Moloney down with a counter left hook in the sixth round, although he was able to recover from it. Moloney was once again knocked down in the seventh round, with a short right hook, and was unable to beat the ten count. He was outlanded by Inoue 107 to 62 in total punches and 63 to 32 in power punches landed. Moloney was losing on all three of the judges’ scorecards at the time of the stoppage.[34]
Continued bantamweight career[edit]
Moloney faced Joshua Greer Jr. for the vacant WBC Silver bantamweight title on 14 August 2021, at the Hard Rock Hotel & Casino in Tulsa, Oklahoma. The bout was scheduled for the undercard of the Joshua Franco and Andrew Moloney trilogy match, and was broadcast by ESPN.[35] He won the fight by unanimous decision, with scores of 98-92, 98-92 and 96-94.[36] Moloney called for a world title fight against either the WBC champion Nonito Donaire or John Riel Casimero in his post-fight interview.[37]
Moloney made his first WBC Silver title defense against Aston Palicte on 5 June 2022, on the George Kambosos Jr. vs. Devin Haney undercard. Aside from the WBC Silver title, the vacant WBO International bantamweight title was on the line as well.[38] He won the fight by a third-round knockout. Moloney first knocked Palicte down with a right straight, before finishing the fight with a flurry of punches at the 2:35 minute mark.[39]
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